《フランソワ・トリュフォーはリリアン・ギッシュに捧げた文章で次のように述べている。「女性の出ない映画ほど悲しいものはない。わたしは戦争映画は嫌いだが、兵士がポケットから女性の写真を撮りだして見つめる瞬間は別だ。(…)」(…)ギッシュのクロースアップの多くは実質的に肖像写真と同じ位相に置かれているからである。(…)このショットは、観客の想像的な参加を拒むかのような絶対的な距離の彼方にある。(…)その究極的な先には、ばらばらになった登場人物たちがそこで再会を果たすどこでもない場所が開けている。》(三浦哲哉『サスペンス映画史』p56-57)というのを読み、まさに『キャスト・アウェイ』で繰り返し登場する写真の入ったロケットを思い出す。これこそまさに《再会を果たすどこでもない場所》になっている。
それに、『ハクソー・リッジ』にも同種の写真が登場する…が、それが上記のような機能を果たしているかは疑問だが、とりあえず、ゼメキスも、まさかのメル・ギブソンも、グリフィスを"知っている"