『新幹線大爆破』1975年版(ストーリー関係無し)
山本圭さんが好きな感じ(ちょっと動作がねっとりしているが…)で、青柳翔さんに雰囲気が少し似ているなぁと思っていたら、高倉健がEXILE AKIRAさんに見える時があったのでつい無理やりHiGH&LOWと結びつけそうになったけど、かなり遠いところにある話のように思うので、その考え方はやめた。HiGH&LOW THE MOVIEは私に大きな爪痕を残したが、距離を保てるようにはなっている。よしよし(HiGH&LOWの話になってるぞ!)
『陪審員2番』
倫理的な行動ができるか?家族ではない誰かのために、自分で自分の人生を終わらせ、愛する人を悲しませることになっても?しかも証拠はなく、何もしなければそのまま平和に暮らせるのに? 私にはできないかもしれない、こわい。誰かの人生が終わりになるのに。それを自分の中で正当化するために使える理由がたくさんある。
社会の中で守られる正義は、ひとりのことだけではなくて全体を見て判断されないといけないし、状況によって誰かひとりが終わりにならなくてもいいようにバランスを取らないといけないはずだけど、それができる仕組みは映画で見る限りの陪審員制度には無いように思えた。プロでも決めつけによって目が曇っていたわけだけど…。にしても陪審員の個人的な感情を大いに含んだ、専門的ではないジャッジで終身刑が決まるというのはかなりこわいが、現実でもこんななんだろうか。
さらにその陪審員のひとりを第三者ではなく当事者(かもしれない)にすることで、こんなことになってしまうのだなあという。映画の設計?というか人物の配置というか、そういうのがすごい。クリント・イーストウッドはヤン・ウェンリーみたいだ。
『アニアーラ』
MRの愛する人が我が子を手にかけて自死を選ぶまでの心境を思うとかなりきつい。ドラッグや酒に逃げられなくて、賢い人であったから尚のこと、スクリーンの地球のイメージに徹底的に絶望に叩き落とされたのではないかと思う
『アニアーラ』
24年後(だったかな)のメダル表彰式の前に流れていたテクノめちゃよかったが、今の感覚だと24年後のあの絶望しかないテンションであんないいテクノが流れ得ると思えないが、あれみんなおかしくなってるし醸されている文化が謎だし謎の表彰式だし、流れ得るのか…?
『ブルータリスト』
配給が始まったことに言及すれば親パレスチナかというとそうとは限らないし、作品自体にどうしてもシオニズムの視点があることは否めないが、シオニストのプロパガンダというよりはピュアなシオニズムの表現、という感じがする。プロパガンダだと言って危険視したり見えないようにしたりすることは、逆に良くないように思う
『ブルータリスト』
監督が『ノー・アザー・ランド』の配給が始まったことに言及して自身の立場を示したと思われるとのこと、少しよかった
(参照先:X)https://x.com/vinyl_tackey/status/1877521926861549948
『ブルータリスト』
このアーカイブを聞き直すと、1年前に聞いた時より理解できるようになってて己の成長を感じた…。『ブルータリスト』に絡めて腑に落ちるところがいくつもある。最後の方の質問コーナーで鶴見氏が語っている、"迫害を受けた人に対して、迫害を受けたからこそ迫害をすべきではないと言うのはあまり良い言い方ではないと思う"というような話についても、確かに…という…