『陪審員2番』 もっと見る
知り合いの映画好きな人がブルーレイディスクを貸してくれたので観た。見終わってからグルグル考えている。クリント・イーストウッドの思うツボだ
倫理的な行動ができるか?家族ではない誰かのために、自分で自分の人生を終わらせ、愛する人を悲しませることになっても?しかも証拠はなく、何もしなければそのまま平和に暮らせるのに? 私にはできないかもしれない、こわい。誰かの人生が終わりになるのに。それを自分の中で正当化するために使える理由がたくさんある。社会の中で守られる正義は、ひとりのことだけではなくて全体を見て判断されないといけないし、状況によって誰かひとりが終わりにならなくてもいいようにバランスを取らないといけないはずだけど、それができる仕組みは映画で見る限りの陪審員制度には無いように思えた。プロでも決めつけによって目が曇っていたわけだけど…。にしても陪審員の個人的な感情を大いに含んだ、専門的ではないジャッジで終身刑が決まるというのはかなりこわいが、現実でもこんななんだろうか。さらにその陪審員のひとりを第三者ではなく当事者(かもしれない)にすることで、こんなことになってしまうのだなあという。映画の設計?というか人物の配置というか、そういうのがすごい。クリント・イーストウッドはヤン・ウェンリーみたいだ。
しかしそれにしても、ナチュラルに白人男性が良いように描かれるよなぁ。
映画好きの為のマストドン、それが「映画ドン」です! 好きな映画について思いを巡らす時間は、素敵な時間ですよね。
『陪審員2番』
倫理的な行動ができるか?家族ではない誰かのために、自分で自分の人生を終わらせ、愛する人を悲しませることになっても?しかも証拠はなく、何もしなければそのまま平和に暮らせるのに? 私にはできないかもしれない、こわい。誰かの人生が終わりになるのに。それを自分の中で正当化するために使える理由がたくさんある。
社会の中で守られる正義は、ひとりのことだけではなくて全体を見て判断されないといけないし、状況によって誰かひとりが終わりにならなくてもいいようにバランスを取らないといけないはずだけど、それができる仕組みは映画で見る限りの陪審員制度には無いように思えた。プロでも決めつけによって目が曇っていたわけだけど…。にしても陪審員の個人的な感情を大いに含んだ、専門的ではないジャッジで終身刑が決まるというのはかなりこわいが、現実でもこんななんだろうか。
さらにその陪審員のひとりを第三者ではなく当事者(かもしれない)にすることで、こんなことになってしまうのだなあという。映画の設計?というか人物の配置というか、そういうのがすごい。クリント・イーストウッドはヤン・ウェンリーみたいだ。