『ボヘミアン・ラプソディ』、本当のファンなら色々許せない点が多い映画だね。
やはり、サシャ・バロン・コーエン案のフレディの死後で終わる案をバンド側が蹴り、尺を映画1本分にコンパクトにしたことでリアリティを欠いた失敗作になっている。
ライブエイドのシーンの再現と各登場人物そっくりなら、ドキュメンタリーやライブエイドの映像を見てた方がいい。
そもそもコマーシャルな3分前後の曲にするのを否定した「ボヘミアン・ラプソディ」をタイトルにしながら、最後に輝いたライブエイドをラストにし、お涙頂戴の映画にした、というのが「ボヘミアン・ラプソディ」の精神に反してる。
フレディ・マーキュリーの意が感じられない。一言で言えば、「死人に口なし」の映画だ。
『ボヘミアン・ラプソディ』、楽曲製作時期がおかしい描写だけならまだしも、ソロアルバム製作やエイズの診断と闘病描写など「ライブエイド」以降の出来事を「ライブエイド」以前に盛り込み、嘘で塗り固めたフェイクだった。
『ボヘミアン・ラプソディ』
うーん、映画の趣旨としては悪くないが、いくつか時系列がおかしく、本当にクイーンが好きなら違和感・不満が残る。
ただ、予想以上にフレディの影/毒/闇/孤独は描けてたかな。
『ファーストマン』
いやー、月面着陸の重みを映画館で感じさせる。ジェミニ計画参加から約9年もの間を一気に駆け抜ける。
アポロ11号に至るまでのドラマは若干駆け足気味で『ドリーム』や『ライトスタッフ』と比べると淡白だが、この映画的にはそういう感動ドラマを狙ったわけではない。
とてつもない距離と時間と時代、その間に起こった幾つもの苦難のミッションと妻&子どもたちの家族のドラマなど、そういうのを一切合切詰め込み、その要所要所を感じることで、終盤に訪れる月面のグラヴィティを感じさせてくれる。
それは『2001年宇宙の旅』が50年経った現在でも通じるように、『ファーストマン』は50年もの時空を越えて月面の地の重みを映画館で感じさせてくれる。
『ゼロ・グラヴィティ』のラストが地球の重力なら『ファーストマン』は月面と時代と家族の重さ。
これである。
『スマホを落としただけなのに』
スマホ落とし忘れから発するスマホ/SNS絡みのあらゆるサイバートラブルとアラサーの恋愛、連続猟奇殺人事件が巧妙にミックスしたサスペンス。
スマホ、SNSのなりすましやハッキングを巧みに駆使し、主人公のカップルが様々なトラブルにあいつつ、さらに彼女の麻美には謎の男の魔の手が忍ぶ。
序盤浮気・痴話喧嘩系オフィスラブかと思わせつつ随所に怪しい男の部屋のシーンを挿入したり、連続猟奇殺人事件を捜査する刑事のシーンを挟みスリラー/サスペンス色を根付かせ、北川&千葉の恋愛と上手く緩急自在な展開になっている。
中でも随所で挿入される犯人目線のシーンが非常に面白い。やっていることは筒井康隆の小説「俗物図鑑」の出歯亀男や『善き人のためのソナタ』の郵便局員みたいなことで、それのサイバー版である。
ただ、若手警官の過去はちょっと蛇足気味で時々出す彼の「刑事の勘」も説得力に欠ける。
終盤の犯人の格好に『サイコ』のノーマン・ベイツが重なったり、犯人の殺人方法が『アメリカン・サイコ』っぽかったりオマージュもいくつか見られる。
スマホを落としただけで起こった現代のヒッチコック。
『search/サーチ』
ただ、全てパソコン上の映像で展開するので、斬新さと通常の映画とは違うイライラが若干あるが慣れる以外ない。
サスペンスとしては「金田一少年の事件簿」の小説版「電脳山荘殺人事件」を彷彿させ、これをYouTube、Skype、Facebook、Twitter、キャスト等でフル回転している。
映画の映像としてもデ・パルマ並のスクリプトの使い方やアップの切り返しの多様、POV、逆POV、生ビデオ撮影などあらゆる撮影方法を使っている。
iPhone5で撮影した『タンジェリン』や『フロリダ・プロジェクト』、POVの『ブレアウィッチ・プロジェクト』、『ハードコア』、『悪女』、ゲーム目線の『レディ・プレイヤー1』などといった現代の斬新な作品の頂点に立つ斬新さだった。
『search/サーチ』
『SAW』、『オープン・ウォーター』、『プライマー』、『ハード・キャンディ』、『フローズン・リバー』を世に送り出したサンダンス映画祭で話題になっただけのことはあり非常に斬新なサスペンスだった。
全編、パソコンのSNS、Skype、YouTube、キャスト、パソコンを通したテレビ映像など全てパソコンの映像でやっており、サスペンスとしては電話しばりの『フォーン・ブース』や『セルラー』のパソコン版と言って良い、いわゆるソリッドシチュエーションスリラーの傑作。
シチュエーションだけでなくサスペンスのひねり方としても一級品で、現代のSNS/パソコン社会を付いている。
さらに、親子・親戚の繋がりかたやドラマも秀逸で主人公の彼は『ミスティック・リバー』のショーン・ペンや『母なる証明』の主演に値する父の執念が見られる。
『デス・ウィッシュ』
一小市民の外科医がカージャック犯撃退から銃を持つ死神になるくだりはわりときめ細かで、それなりの説得力はある。犯人が家に入り込む時の描写や銃屋のエロい店員や、後半のゴツい武器、ゴア描写などイーライ・ロスならではのものは随所で感じる。
が、いかんせん敵にこれといった魅力がないのと、ひねりがない質素で地味な脚本で、『キック・アス』1作目のような味気なさがどうしてもある。
あと目を引くキャストがブルース・ウィリスとヴィンセント・ドノフリオと銃屋のねーちゃんだけというのもなんともさみしい。
近作の『グリーン・インフェルノ』や『ノック・ノック』のように頭の設定から面白い作品では力を発揮したが、そもそもがブロンソン主演の西部劇様子が少しバックにある『デス・ウィッシュ』のリボーンは若干改悪も目につき、荷が重かったかも。