『オデュッセイア』(米・2026)を9/28に上野TOHO CINEMAで。
予習ほぼ無しで見て、後から解題を読み、思うところ多数。そもそも物語背景が頭に入っていなかったが、これに打ちのめされた。BC12Cのミケーネ文明(青銅器時代)の大崩壊があり、その後4百年ギリシャ人は文字を持たなかったという点。文字だけではなく都市文明も失われ、現代で言うなら核戦争並みの衝撃的な文明の壊滅のとば口にいる人々。原因ははっきりしないが凶悪な「海の民」の攻撃らしいとされる(これは史実)。文明の崩壊と智将の道徳的堕落・それに対する罰とが縒り合される。10年前のトロイア戦争で、義の人オデュッセウスが初めて卑怯な手を使い、それがモラル崩壊の結節点だった。つまりオデュッセウス自身が海の民だったという結論。彼はトロイア、そして怪異のいる辺境で海の民と同じことをしてきたのは確か。彼が航海の途中で会うのは、文明により周辺の薄明に追いやられてきた怪異たちだが、だからと言って無法に討伐されるべきものでもない。この道徳的退廃が文明の黄昏へと続き、400年の“暗黒時代”が始まる。それを予感し夕陽を追いかけ西に鎮魂の旅に出る。
『オデュッセイア』(米・2026)を9/28に上野TOHO CINEMAで。
冥界への船出が次の時代の始まりと重なる。強烈な白昼の太陽光と乾燥した大地というギリシャ映画の古典悲劇のイメージに対しての、辛気臭く寒々しい画面(1977「イフゲニア」とは大違い)、英語の台詞にはつまらなさを感じたが、しかしギリシャにはアンゲロプロスのような霧の風景も実際にはあることを思い出す。それに古典詩を題材にしているが、描かれている時代は古典期ではないのだ。しかしあっぱれな映像化でラージャマウリはさぞや刺激されたろう。気に入った、あるいは印象的だったところ:①「木馬の中で糞尿まみれになりながら好機を待つ」ところにも尊厳のかけらもない作戦だったことが活写される②「これ以降、物語は歌によってのみ語り伝えられる」➂「我々が生還することが死者への手向だ」と言って逃げ出す。全滅か、6名の死かの選択肢の中で迷わず後者を選ぶ④冥界の者たちとの会話のシーン⑤弓を鳴らすしきたり、鳴弦のようではないか⑥強弓を弾くことが英雄性の証明というインド神話味⑦アガメムノンの造形(生前/没後とも)。カラーコンシャスなキャストは気にならず。