『グリーンブック』の感想です。 (1/3)
I have black friends.
これって、レイシストの言い訳の常套句だ。
この映画は、これをハートウォーミングコメディとか、楽しいロードムービーとか、そういうものに仕立てたわけ。
白人は、つねに選択する側にいて、自分はなにも脅かされない。
主人公のトニーは一見黒人差別をやめたように見えるけど、黒人の友達ができただけだ。差別意識を持ったまま、その対象と友達になることはできるし、いくらでもある話だ。
考えを改めて、差別自体をやめたことを示すシーンもどこにもない。
もちろん、この映画を見て、当時の黒人のおかれたひどい状況に憤りを感じたり、ドン・シャーリーのつらい心境に共感したりする人もたくさんいるだろう。
まあそれはそれでいいんだけど、悲しい状況を、物語として消費してるだけ、とも言える。
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『グリーンブック』の感想です。 (3/3)
1960年ごろというと、在日一世のわたしの祖父母は40代そこそこで、ふだんは主に日本語を使って暮らしていたが、この映画に出てくるイタリア移民のように、そのときの都合に応じて朝鮮語を使っていた。
なにかというと、近所に住む一族郎党集まって食事をしたり、小さい頃に見たような風景だった。
貧乏と無学というのが、イタリア移民のステレオタイプだったんだけど、そのあたりもいかにもありそうな感じに描かれている。
移民社会を描いた映画は、いつも興味深い。
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『グリーンブック』の感想です。 (2/3)
で、映画自体がつまらなかったら、上のような批判をして終わりなんだけども、幸か不幸か、映画としては実によくできてる。
脚本も演技もいいし、なにより音楽がいい。
ちょっとクラシック寄りのジャズ。
そのジャンル自体が、黒人コミュニティから離れたところで育った、シャーリーのアイデンティティを示しているようだ。
娯楽作品としては上出来だが、なにも突き刺さるものがないぬるい映画。
だからこそ、マジョリティも安心して見ていられて、ヒットしたんだろうな。
劇中、イタリア系のアメリカ人たちが、英語話者に聞かれたくない話をするときは、イタリア語に切り替えてしゃべりだすシーンが何箇所も出てくる。
1960年代は、まだこういう感じだったのかなぁ。
いまは、イタリア系だからといって、イタリア語しゃべれないよね?
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