偉そうにいう僕も会社人間ですし、僕の未来ももしかしたらアイリッシュマンのフランクのようになるのかもしれないと、わりと本気で心配になってますw
笑い事ではないのですが、笑うしかないw
自分が所属する集団が、組織であるか?共同体であるか?ということはよく考えた方が良い。
組織とは、組織の目的が全て。使えない人は追い出される集団。
共同体とは、人が全て。使えるとか使えないとか関係なく、人を包摂してなんとか共存していく集団。
まぁ、マフィア組織は組織なのか共同体なのか?その境界線は曖昧なものですけどね。
少なくとも会社という集団は、全く疑いの余地がなく、組織であるといえます。
いまの僕の状況を考えても、ヤバいんですよw
僕はいま組織にしか所属していない。用済みになったらすぐ追い出される。老いた後に生きていくためのサービス(介護とか)は、金が無くなったら追い出される。僕らには共同体がない。ヤバくね?
すんません。ただの想像だからデタラメなこと言ってるかもwww
難しい話は抜きにしても、自分には凄く大きな意味を持つ映画だったので、語りたくなってしまうのです。
・・・というのも、フランクが置かれている状況がとても他人事と思えないんです。
組織の言いなりに生きてきて、凄く頑張って忠誠を尽くしても、組織などいつかなくなっちゃうし、組織では用済みになったら追い出されてしまう。
今の団塊の世代及びその2世の人たち(僕の親の世代)が置かれている状況、そのものなんですよね。彼らは会社が全てだった。でも不況で会社は無くなっちゃった。不況下で会社のお荷物になるから追い出されちゃった。
会社一筋で、プライベートな人間関係を疎かにしてきた彼らは、老いた後、誰からも気にかけられず、どこにも所属できず、全く尊敬されず、孤独に死んでいく。
この映画は、自分はどんな死に方をしたいのか?ということを、すごく考えさせられるんですよね。心の一本になりそう。
物質的な豊かさには意味はねーからな!
アイリッシュマンからはそんなテーマが浮かんだ。この映画のなかでは、リアル=金、社会的成功、人脈、といった物質的豊かさ。バーチャル=信心、友情、神、といった精神的豊かさ。
近代から現代になるにつれて、人は物質的豊かさを、「未来は明るい」という、精神的豊かさに変換することができた。
しかし、この先、多くの先進国では物質的豊かさの向上が望めなくなる。我々は価値観を改める必要がある。物質的豊かさでは無い何かを拠り所にし、新たなる精神的豊かさを生み出す必要がある。
物質的な豊かさに従い続けた場合どうなるのか?その慣れの果てがこの映画のフランクだ。若い頃、いかに自分が物質的に豊かだったか、を自慢する輩の末路は悲惨だと決まっている(フランクはそんな輩では無いけどね)。何故なら、どんなものであっても、物質は必ず無くなるからだ。
スマホゲームやネトフリがここまで流行っているのは、物質的な豊かさを望めなくなった結果だと言える。最近はみんなゲームやら映画やらドラマ番組の中に精神的な豊かさを求めているんだよね。きっと。
アイリッシュマン
うーむ。不覚にも涙してしまった。年老いたロバート・デニーロ(フランク)がアル・パシーノ(ジミー・ホッファ)の写真を見返すシーンで号泣。すごく良い映画でした。まさかスコセッシに泣かされるとはね。
映画の終盤、あれだけ時間にうるさかったジミー・ホッファでも、フランクには怒らない。そして、怪しいと知りながらも、ジミーはフランクがいるからという理由で、車に乗る。そして車の中で熱いハグ。フランク、お前が来てくれただけで充分だよと言わんばかりのホッとした様子のジミー(その後呆気なく殺されてしまうん辺りが、スコセッシ流って感じ)。ロバート・デニーロとアル・パシーノ熱い抱擁に胸が熱くなりました。このシーンは彼らじゃないとできない、というか、彼らのために用意されたシーン。涙なしには観れないよ。
ただのマフィア映画ではなく、人生の映画になってます。人は誰でも老いる。老いれば若い頃に羽振り良かったことなど関係なくなる。孤独に寂しく老人ホームで死んでいくのが現代人。スコセッシが意図していたかどうかは分かりませんが、映画の終盤は、繁栄を極めたアメリカ社会への批評になっていたような気がする。
またまたダークナイトの批評を聞いた
https://www.youtube.com/watch?v=tTg6NNBtuT8&feature=youtu.be&t=1070
これのダークナイトの話は面白かった。
悪魔とは人に現実を見させようとする存在なのかも・・・とすると、神は1つの仮想現実か。
金も国も地位も法も仮想現実。でも、愛も宗教も趣味も酒も仮想現実。全て仮想現実じゃんか!
つまり、人は人を支配するためには、仮想現実を構築すれば良い。
宗教者とかジョブスとか哲学・思想家は大きな仮想現実を作る。
一般人はもっと小さい(血縁とか地域社会とか恋愛とか)ものを作る。
仮想現実に属する側の主題は、良い仮想現実とは何か?より継続性のある仮想現実が良いのか?でもそれも分からない。人による。
人は仮想現実に属さないことは不可能だ。
何故なら、人は何かを考えている時点で何かの仮想現実に属してるといえる。しかし人は何も考えないことはできない。
瞑想すればできるけど、四六時中瞑想した状態でいることはできない。
そう考えれば、他人の仮想現実(思想も宗教も人種も)を批判する気も起きなくなる。
全てはどんぐりの背比べだ。
ダークナイトは映画自体よりも、その批評を聞くのが面白いw