マトリックスとボードリヤールなのだが
今しがた「象徴交換と死」を読んでいたらこんな文章に当たる。「合目的性をもって偶然性と闘い、自覚とか弁証法的止揚をもってプログラム化され分子化した分散と闘い、経済学や「革命」をもってコードと闘う、そんなことをしてもはじまらない」。
一作目『マトリックス』の全否定といえる。続く二作で多少軌道修正するとはいえ、これだけしか見ていない状態で監修を求められたらそりゃ突っぱねるよな。
ボードリヤール的な思考ではマトリックスに徹底して安住することがマトリックスの破壊となるだろうから、三部作通して見ても否定的な印象は変わらなかったかもしれないんだけど。