『スプリット』の"Rejoice!"、大江健三郎勢としては『燃え上がる緑の木』思い出さずにはいられない(元はイェーツでしょうけども)
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このインタビュー(http://spice.eplus.jp/articles/122624)でシャマランが"『アンブレイカブル』は3部作の構成で考えていた作品"と言ってるのは、『アンブレイカブル』→『スプリット』→『GRASS』の三部作になるってことなのかね
『脳内ニューヨーク』見ると、フィリップ・シーモア・ホフマンが"本当に"年をとって老人になった姿が見たかったな、と思う
リチャード・パワーズ『囚人のジレンマ』読んだので、チャーリー・カウフマン『脳内ニューヨーク』見てみたのだけど、予想が当たって似た質感の映画だった。アメリカのポストモダン
『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』のカート・ラッセルと、ウィンターソルジャーのロバート・レッドフォード、というキャスティングの妙
『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』忘れてた、もちろん、「愛さずにはいられない」
『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』せずにいられない/言わずにいられない/殺さずにいられない/許さずにいられない、その結果、どうなろうと、「知ったこっちゃない」
『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』の諸々(例えば、ヨンドゥの行動)は全て、(抑制不可能なものとしての)"意志"と"偶然"によって引き起こされてる、と理解する必要がある(というかそうすれば全てわかる)
『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』 もっと見る
『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』ラストの葬儀が、フューリーとペギーのそれと違い、戦いの契機として機能するのではなく、あくまで本来の死者への追悼の儀式として終盤に配置されていることに衝撃を受けてしまった
『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』のクリス・プラット、今回のスターロードのキャラクター造形のせいもあるのだけれど、いつにもまして繊細であったり弱々しさを露わにする表情で…前より髪もクルクルになってる気も…https://eigadon.net/media/zEbxAIgRPdCfoGcTYtUhttps://eigadon.net/media/ljONM543SZaDsmiLD6w
『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』子どもとは常に後から生まれる者であり、他者である。それを理解不能の存在とするしかない先行する者=親は、それでも知りたいと願うだろう。正しく関係することは、決して相手を操作し思うがままに動かすことではないし、そもそもそれは不可能だ
『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』つまりデザイナーベビーと"orphan"(作中でも使われる)の、どちらが真の意味で"子ども"なのか?という問い
『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』ずばり、"偶然"と"子ども"の映画。家族は偶然(出会い)によって作られる。子どもは親を選べないし、親も子どもを選べない。逆に言えば、必然を狙って作られた家族は家族に非ず、弱く、脆い
『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』ともかく魂消た…マーベル映画史上最も、みたいなこと言われてるからまたまた〜って思ってたらもしかしたらそうかもと思えるくらい大傑作
ネタバレではないと思うんだけど、『スプリット』のあるシーンで、『コップ・カー』の車のドアロックを必死こいて外すシーンを思い出した
『スプリット』少女と男、それぞれに刻まれた傷の対決の物語と言えるのかなーと
『スプリット』現在の監禁の物語と、少女の虐待の過去をカットバックで描いていくので、てっきりon the moveするのは、少女なのかと思ったらそんな「下品」なことはなかったので、反省してる
『スプリット』あと本作では改めて認識できたのですが、シャマランの舞台設定のセンス(どんな場所でストーリーが紡がれるのか?)はやはり尋常じゃないかつ奇妙すぎるな。今回はそれが余計に映画を「わからなく」(わかりにくく、ではない)してる
『スプリット』事実/真実が、本作でははっきりとある形で現れるのだけど、その意味でも、本作は"傷"(それはおそらく、スティグマと称されてしまう類のものだ)の物語であると言える
『スプリット』なんといったらいいのか?多分、これまでのシャマラン作品とは違う感触・質感の映像のような気がするんだけど…見てる最中アレ?とずっと思っていて(特にカウンセリングのシーン)、でもそれをどう言ったらいいのか検討つかない
映画好きの為のマストドン、それが「映画ドン」です! 好きな映画について思いを巡らす時間は、素敵な時間ですよね。