チネチッタで会いましょう鑑賞。 

なんか変な映画だったな。歴史を改変するフィクションも、作中作と作中の現実の境があいまいな映画も、たぶん珍しくはないと思うけれども、あまりにも滑らかな地続き?共存?に不思議な感覚をおぼえた。ジョバンニが画面にいるその横で喧嘩するカップルのセリフを先取りしたり、作品の構想中なのか、現実なのか時々わからなくなる。

ものすごくわがままで周囲を振り回しているのに、ジョバンニ本人は周りの人にとってもそれが最良の方法で、この方法であればみんなに不満はないと思っている。奥さんが離婚したがっていることにも気づかないし、俳優たちの意見にも注意を払わない。誰も彼を止められないからといって、若い映画監督の映画作りを勝手に止めて口出しをする。「クソヤバい」映画もそれを押してくるネットフリックスも侮っている。いわゆる老害みたいなムーブをして、(観ている私はイライラしちゃうのに)作中で憎まれているって感じでもない。だからよけいに自分のわがままさにも気づかないし、変わらない。

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チネチッタで会いましょう鑑賞。続き。 

面白かったのは、「結末=主人公の自殺が最初に浮かんだ」と言いながら、彼が自分の作品を絶望の映画だとは思っていなかったこと。「素晴らしい映画ですね!」の賞賛と共に絶望に関しての映画という評を受けて結果に困惑しているように見えた。反論も提案もスルーしてきたのに、自殺の撮影に至って「そんなはずじゃなかったのに!」が生まれる。その後の会食シーンでは、彼が許した途端、みんながすごい良い顔で堰を切ったように希望を口にしだした。それって今まで彼の聞く耳がいかにポンコツだったかってことで、ここで初めて人の話を聞けるようになったのかもしれない。
そもそもが彼の思い込みだったにしろ、撮影が始まる前までは何もかもうまくいっていた人生が、何もかもうまくいかなくなった。何もかもうまくいかなくなった主人公にジョバンニが用意した結末は自殺だった。だから、自分の世界に他人のビジョンを取り入れ、リアルやノスタルジー、史実へのこだわりを曲げて、作品の主人公も自分も救うエンドがあまりに力技で笑ってしまった。何でもかんでも他人の意見を取り入れることと、それが良い映画になるかは別だけれども。

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