Dorothy (Tamil/2026)を川口スキップシティで。 

マドゥライ地方と思われる田舎で1987年ごろに出会った二人の少年が親友となって共に成長し、成人後の1995年に起きた様々なツイストを描く。少年の頃は臆病者だったカールティは荒々しい男になり、ブルース・リーの物真似が好きなやんちゃ坊主だったスッブはソフトな青年になる。スッブの家はゴリゴリのカースト主義者・マスキュリニティー礼賛者の家長に率いられ、カールティは母と二人で下層の暮らし。スッブの家はおそらくテ―ヴァルで、そういう意味ではマドゥライ流血映画の系譜に連なると言える。三角関係の頂点かと思われたドロシーは理由が明かされないままあっさりと殺されるが、魂は生き続ける。後半はロードムービーとなり、北上する旅になる。殺しの標的と殺し屋が同じトラックで移動する。この設定に持っていく脚本が巧み。自分の性自認をはっきり外に向けて表明するスッブのエピソードは背景を考えるとセンセーショナルだが、女に変わった親友を愛していると自覚するカールティの覚醒の方がより重たいのではないか。バフチャラー・マーターはシャクティ女神と同一視されているらしい。

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Dorothy (Tamil/2026)を川口スキップシティで。 

2回目。観客は70人弱か。ストーリーの整理はできたが、白地に白字の字幕は相変わらず読めない。あれじゃ国際映画祭ではハンデだろう。誰も助言する者がいなかったのか。Retroほどこれみよがしではないが、長回しのマジカルなショットがあった。ドロシーが吊るされる例の柱がある中庭を中心にぐるりと回るところ。それから,脇役の味のある人物2人が最初と最後で立ち位置が逆転するところ。食堂の主人は子供の2人に情愛深く接するが、最後には「殺してやるのが慈悲だ」と口走る。ヤクザ者のヴァディヴは人殺しの指南役として現れるが、最後に愛についての講釈をしてカールティの背中を押す。後半のトランクの整理か何かのシーンでPasa Malarの例の曲が流れる。ロードムービーのパートはマドゥライ〜カルナータカ〜マハーラーシュトラのはずだが絶景続き。マドゥライへ帰還の途中で事故で怪我をして病院に収容されたカールティにはヒジュラが会いに来る場面の意味合いが今ひとつ分からず。モノクロとカラーの使い分けは、観客に嘘をついてる状態だけをモノクロにしたということでいいか。

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