Dheena (Tamil - 2001)をDVDで。
ムルガダース監督作だが特に政治的なメッセージはないのが意外。貴族のように暮らすギャングのドンと養子ながら肉親同様に忠誠を誓う若い弟。その弟に恋人ができた時に、ボタンの掛け違いのような運命のいたずらで、兄が弟と恋人一家を皆殺しにしようとする事態になり、家族愛か恋愛かの二律背反になる。アジット・クマールがロマンスのヒーローからアクション・ヒーローへと変貌を遂げる過渡期のものだが、まだまだロマンチックな部分を残している。アイテムダンス登場のナグマが美しい。ロージャーも、色白以外なぜヒロインなのかよく分からない女優だったけど、表現力があることは分かった。スレーシュ・ゴーピの巌のような存在感はタミル語映画界を見渡しても他に見つからない。作劇としてはダンスの入れ方に工夫がないし、兄弟が対立しあうようになってからが妙にスローテンポ。刺客に狙われているとは思えない呑気なエピソードがブレーカーになってる。カフェのガラステーブルで話す恋人たちを下から俯瞰するシーンが印象的。「タラ」のタイトルを初めて使った作品とのことで、劇中でもそう呼びかけられている。
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もうひとつ覚え書き。シュリーマン演じる学生崩れのオートドライバー(つまり世の中への不平分子ということになる)がなぜかそこそこ高級なゲーテッド・コミュニティーに相棒と2人でいついていて主人公を匿うのだが、彼がゲーテッド・コミュニティー管理組合の爺さまたちと繰り広げる議論が興味深い。爺さまがバチェラーに部屋を貸すのはこれだから問題なんだと言い、昨今の風紀の乱れを嘆くと、オートドライバーが爺さまは何歳で結婚したかと問い、爺さまが13歳と答える。バチェラーの意味が変わってるんだ、今は28歳のバチェラーが普通にいるんだと主張する。これは本筋とはほぼ関係ないのだが、何か当時こういう問題があり、ムルガダースが世に訴えかけたいことだったのだろうか。