これまでインド映画の恋愛もの、
その中の1パターンである、引き裂かれて別々の相手と結婚させられたカップルのストーリーを見てきて、姦通を絶対的に避ける不文律にどうよと思ったことは多々ある。逆に肉体関係を持たなければ心は結婚を裏切ってもいいというロジックに何か現金なものを感じたりもした。結婚を裏切らずに恋愛を成就させるためには、離婚するか、あるいはそれぞれの配偶者が都合よく死ぬのを待つしかないわけだが、これも事実上脚本としては禁じ手。まあでも、インド語の、少なくともタミル語の文学的コンヴェンションからすれば、心は主体から離れて勝手な動きをするということになっている。心を責めるなかれというのはここから来ているのか。