『きっと、うまくいく』の感想です。 (2/2)
3バカの青春ドタバタ劇かと思いきや、インドの若者の自殺問題が大きなテーマになっている。
日本でも20代の死因で自殺は一位だが、インドはもっと多いらしい。
ついでにいうと、韓国はもっと多い。
伝統的な家族観、厳しい経済状況、そして近代的な自我に引き裂かれた結果、といってしまうとあまりにも簡単すぎるけど。
ファルハーンの父との和解、ランジューの面接シーンは、どちらもなかなかよかった。
結局、変わるべきは年長者、つまり社会の側なんだよね。
外国映画の邦題にはいつも文句たらたらだが、これはいいね。
インドでのタイトルはわからないが、英題よりずっといい。
https://eigakansou.life/%e3%81%8d%e3%81%a3%e3%81%a8%e3%80%81%e3%81%86%e3%81%be%e3%81%8f%e3%81%84%e3%81%8f/
『きっと、うまくいく』の感想です。 (1/2)
アーミル・カーンが出てきたのを見た途端、あれ? これってそんな昔の映画じゃないよね、と思わず映画を止めて情報を検索してしまった。「ダンガル、きっと、つよくなる」のおっさんぶりとあまりにかけ離れていたので。
撮影当時44歳だったそうです。
ボリウッドのスター、すごい。
3時間近くある長い映画だけど、ちょっと年齢感じたのはびしょ濡れになったシーンくらいかな。
ほんとうに若者に見える。
あのすっきりした首筋!
若く見えるだけではなくて、表情がとてもチャーミング。
顔見ていて飽きないというのはさすがだ。
共演していたふたりもそんなに若くなかったようで、おっさんシーンが自然に見られるのもよかった。
ボリウッド名物のダンスシーンもうまくストーリーにはまっていて楽しい。
愛がなんだ2
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この人の日常に自分が存在するだけでいい、愛情の見返りなんてなくていい…と思ったり
あーこの人はこの人のことが好きで、うーむ、、、そこで付き合いなよ…とか。
テルちゃんもマモちゃんも
ナカハラくんもヨウコちゃんも
スミレさんもみんな愛があって、それは正しい/正しくないの是非では測れないもので
みんなそんな愛情なのか執着なのか恐怖なのか憧れなのかわかんない感情のごっちゃ煮を持ち合わせているものだと思っていた。
始まりから終わりまでずっと自分を投影した。
あのアンバランスな幸せを、続きはしない幸せのために全てを犠牲にしてその目にうつしてほしい、わたしをみてほしい、そして出来ることならキスをしてほしい。
私が渇望した言葉を、別の誰かのために使うあなたをみたくない、みたくないけど離れ離れになるくらいならどんな茨の道だって受けて立とうじゃん?
そして知らないうちにそんな修羅の道に突き進めてしまうことや、答えを曖昧にすることへの優しさとめんどくささ。
なんだ、私のこともう好きじゃないんだ、なーんだ、そしたら一番楽チンじゃん。
どんな形でもいいからあなたの近くで呼吸をしたい。
愛がなんだ
最近、ツイッターで「自分には恋愛感情というものがなく、世間で溢れてる恋愛モノは実世界に限りなく近いフィクションだから親しまれていると思っていた。まさか本当にあんな好きだの嫌いだのやってるとは思ってなかった」というような内容のはてブを読んだ。
人はみんな自分で実感できるものを当たり前だと錯覚する。
極端な話、私は分母の違う分数の足し算はできるし、できて当たり前だろって思うけど、できない人も一定数いる、というような。
だから上記のはてブを読んだ時、あ、まじか、そういう人もいるのか…と驚いた。
愛がなんだ、は私だ(違う)。
最初からほぼ全て私は経験したといっても過言ではない。多分過言。
それはテルコもマモちゃんも、ヨウコも、ナカハラくんも、スミレさんも。
マモちゃんに呼び出されて家にいるのに「え?外だよ〜〜超ヒマ!!」とか言っていそいそと準備するところも
別に一緒にいればそれなりに楽しいけどそれ以上でもそれ以下でもない異性にトゥーマッチな感情を向けられてたまにウンザリするけど、気分の乗ったときだけ呼んだり
何をしても許される愛情の上強く振る舞い続けて一人になったり
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古い映画をみる。劇場にもぼちぼち。感想ポエムの人。