彷徨える河(2)
@tacchan メモ
原住民族が話すフィクションは、自然の摂理(ノンフィクション)を説明するための比喩なんだ。
対して、近代人のフィクションの多くは人間が団結するための建前。そのフィクション自体にたいした意味がない。
実存は自然の上に確立している。自然の摂理(現実=本音)を説明するためのフィクション(建前)がある。
我々現代人は、自然の上に確立していると言う意識は、もはや持っていない。家族、国家、宗教・・・あらゆる建前の上に確立してると思っている。現代人にあるのは、これらのフィクション(建前)を説明するためのフィクション(建前)。
現代人にあるのは
フィクション(建前)を説明するためのフィクション(建前)。
原住民族にあるのは
ノンフィクション(本音)を説明するためのフィクション(建前)。
彷徨える河(2)
@tacchan
フィクションを説明するためのフィクションには従うべきでは無い。もし、従わざるを得ない状況になったとしても、そのフィクションを信じてはならない。信じるフリだけしておけば良い。