一連の映画スキャンダルですが(長文)
西欧的な主体や実存の概念を引きずって映画を監督の内面から湧き出た創作物と看做す評論の在り方や、創造性を映画の評価尺度とする事が問題の根幹じゃないかなぁと個人的には思ってます。
こういうのって合理的な映画作品の受容の仕方ですけど、身も蓋もない言い方をすれば絵画や彫刻と違って映画は制作に携わる人間があまりに多すぎるので、画面に映し出されるものを監督の個性と直接結びつけるなんて本当は不可能ですよね。制作の過程で無数の屈折がある。
その屈折を捨象して映画作品を監督の創作物にしてしまうから監督にスキャンダルがあると作品まで傷を被るし、またそうした監督の偶像化は監督に必要以上に大きな権威・権力を与えてしまう。この構造が今のハリウッドの不幸を招いているのではないかと思います。
一度、複製技術時代の芸術という観点に立ち戻って、映画作品と映画監督の聖化から脱却する時期に来ているのかなと思いますね。長文失礼。