『生きる Living』
とても良い映画だった。「いままで役所がろくな仕事してなかったけどやるようになった」と単純化してしまうと、当たり前だろコラふざけんなよ死ななくても仕事やれと思ってしまうが、黒澤明が『生きる』を書いた1950年くらいにおいて、そういうことが言いたいのではないのだろう…
『生きる Living』
役所の仕事(やって当たり前だろ)と、人としての達成を結び付けられたことが、この納得のいかなさに繋がっているように思う。課長がその辺りの会社員だったらぜんぜん違う感想になっただろうけど、なぜ市役所の市民課だったのか。このあたりをもう少し深堀りすればいいのかもしれない
『生きる Living』
周りに流されて死んだように働き生きるのではなく、己で何かを成す、確かにそれはとても大事だ。そして連休が終わる日の夜に観て、おれもやるぞ!なにかを…!となれるような良い映画だ。
しかしじゃああの陳情書を持ってき続けたご婦人たちは、課長が動いてくれなかったらどうすればよかったんだ、そういうことばかり考えてしまう。私はこれをほんとに良い映画だったと思ってるのか怪しくなってきたぞ