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スーパーマン(2025)鑑賞。 

私はスーパーマンというキャラを神聖視?しているので、映画には…というかジェームズ・ガンの『スーパーマン』に、実はそれほど期待していなかった。というわけで、スーパーマンとしては最高にスーパーマンだったし、やるじゃん、ジェームズ・ガン👍って感じだった(なぜそんなに上から目線なのか…)(後乗りして全部クビを切っていったけど自分のお気に入りだけ残してるように見えてしまうジェームズ・ガンが、嫌いなんだろうな、言いがかりで八つ当たりだけど)
一番好きなのは、ロイスの語るクラーク・ケント像。あなたは人を信じすぎる。あなたが見る人類は「美しい」。もうそこだけで、この映画を観た甲斐があったと思う。スーパーマンみたいな存在に愛されるなら、人間って捨てたもんじゃない。現実世界にはいないのでフィクションに背中を押されるって逆なんだけど、それに恥じない人間になりたいって思う。

スーパーマン(2025)鑑賞。続き1。 

その上で、人間と同じで彼も失敗したり行き届かなかったりすることもある。けれど、SNSのクソみたいな罵倒じゃなくてロイスのように公正な人が的確で鋭い評価と批判をくれる。それにもちろんカンザスのケント夫妻。クラークが一面記事を書いたことでお祝いの電話をくれる。スーパーマンなんていくらでも人を救っているのに。周りにいる人によってスーパーマンがよりスーパーな存在であるというのがとても好き。
それにしてもルーサー君よ。2度観て思った。この映画で一番好きなの、ルーサー君だ。人間より、ていうか自分より優れた存在であるスーパーマンを許せない。自分が人類で一番、その証明に完璧なものを倒したい。逆に言うと、最高の人間であることの証明のためにスーパーマンに完全無欠でいてもらわなければならず、スーパーマンに宇宙で一番完璧なヒーローであってほしいのはルーサー自身である。そういう見方をすると、(ニコラス・ホルトの顔をしているというのもあって)悔しくてギリギリと歯をかみしめて泣いちゃうルーサー君、かわいい!結局犬にボロボロにされちゃうのも無様ー!!!もはや愛しい。

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スーパーマン(2025)鑑賞。続き2。 

文句はそれなりにあるけど、それ以上にスプスとルーサー君が最高に良かったので、もう良い。
スーパーマンの映画としてはめちゃくちゃ楽しかったし、全体的にスーパーマンもルーサーも若くて未熟?伸びしろがある?感じで応援したくなるし、クリプトンの遺児ではなくカンザスで両親に愛されてのびのびと育って、それゆえに正義感あふれる地球の青年であり、そういうスーパーマン像を彼が自分で選んだ結末は、本当に本当にすごく良かったと思う。

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