クリント・イーストウッド監督兼主演最新作『運び屋』②
イーストウッド節はセリフだけに非ず。
今回の作品ではやたらとスマートフォン、ケータイ(ガラケー?)、インターネットに対する言及が随所でちりばめられ、案の定、イーストウッドが演じるアールがやたら忌み嫌い、罵る。
その姿はかつての『ダーティハリー』のハリー・キャラハンにも被る。
が、これまでならそういうデジタルに対してイーストウッドのオレ流で通していたのを本作ではいくつか時代への“折れ”が見える。頑固なイーストウッドがインターネットを認め(全面的ではないが)、メールを必死で覚えようとする辺りにイーストウッドなりに現代性を取り入れている。
また、本作の最大のテーマは「過去への贖罪」と「罪と罰」。“過去”は主に家族をお座なりにして仕事に没頭した過去であり、主人公アールの家族とアールを演じるイーストウッドの自分の家族をダブらせている。大胆にもアールの娘役にクリントの娘アイリスに演じさせ、かなりの自虐、また自分の家族への贖罪を描いている。
終盤の罪の意識も秀逸で、その潔さは『ミリオンダラー・ベイビー』の終盤のあれにも通じるものがある。