レディ・イン・ザ・ウォーター
頭がおかしい。シャマランのことじゃない。世界の方だ。だからこの善人しか出てこない、優しさに満ちたダークファンタジー版「アメリカの夜」は、世界を変えはしなかった。これほどまでに真面目で真摯な声が届かなかった。その残酷な事実に声を失う。
ものを創ることは自分を晒すことだ。それにしたって限度がある。この映画におけるシャマランは無垢な魂を晒けだし、大声で叫ぶ。おとぎ話は真実だ。物語には信じる価値がある。生まれた人すべてに目的がある。なんたる美しい“声”だろう。なんたる勇気だろう。
ひょっとしたら“映画”というのはこの一本で終わってよかったのかもしれない。美しいラストショットと共に、すべての映画が終わってよかったのかもしれない。だが、そうはならなかった。なぜかって決まってる。おれたち観客はそれほど美しくはないからだ。
シャマラン、映画はやっぱり娯楽なんだよ。真剣10代しゃべり場のスタジオじゃねぇんだ。おれたちはありとあらゆる依存物に染まりつつ、この俗悪さに満ちた世界にオモテではぶつぶつと文句を言いながら、ウラではあらゆる悪徳に賛美の叫びを上げてるんだ。