@tacchan 最近の分かりやすいものやすぐに解答が出るものなど安易に答えが出る手段に寄りかかり、複雑な問題や分かりにくい物をじっくり考える。という事に対する軽視が余計に批評無用論に拍車をかけてるような気がします。
分野は違いますが、経済予想当たるか当たらないかよりも、エコノミスト自体にファン(支持者)がつく。というのと同じ傾向を感じました。
好き嫌いではなくて、学問やきちんとした教養に裏付けされたまともな映画評論を一度目にしてみたいです。(かつ読んでみたい)
@frenchblue 確かに。最近は(映画に限らずですが・・・)、病的なほど「分かりやすさ」重視ですよね。映画がもはや、映画監督個人のものではなく、大衆に安価で消費されるための、大量生産のファーストフードのような商品として作られてるからなんでしょうけど・・・(ファーストフード批評があれば、それなりに面白そうですが・・・)。多くの人は、作品の中身などどうでも良いんでしょうね。暇を潰す道具でしかない。電車でスマホゲーをやる感覚で映画観てるんでしょう。(良いのかそんなんで・・・w)
そうかもしれません。てゆーか、実は経済の批評でも、僕は「誰が言ってるか?」で判断しちゃってますね。
批評の内容ってどうでも良いんですよね。個人的には。結局のところ、批評って言うのは、批評される対象がどのようなものか?は教えてくれるのですが、僕がどう感じるか?は教えてくれない。
経済予想は、経済がどうなるのか?は予想してくれるけど、僕がどうなるのか?は予想してくれない・・・ですよね。
そういうスタンスで、批評を聞いてますね。
@frenchblue 少し考えてみましたが(しっかりした本を読んだとかではないですが・・・)、日本人は、学問や芸術とは何か?ということ自体、あまり気にしていないように思います。これは、日本の地政学的な優位性の産物ではないかと思います。
これまでの日本は、海で囲まれていて、敵国から攻められる事なく、温暖で作物も水も豊富で、食うことに困らなかった。
生きるための知恵があまり必要ないので、学問や芸術を発展させようという気があまりない。
だから学問にも権威がない。
蓮見路線だけだと、難しくて何が何だか分からない批評ばかりになりそうですよね。