「マンチェスター・バイ・ザ・シー」、ネタばれあり感想3
パトリックがリーを癒す存在になるかというとそんなことはなく、まるでリーのコピーのようだ。それでいて10代の子供のズル賢さやセルフィッシュな部分が顕著で、より太刀の悪い男として成長するのは明白だ。パトリックの女癖の悪さは若くして離婚した母親の喪失を埋めるものだろう。
パトリックもリーも素直にお互いの気持ちをさらけ出すことはほぼない。お互いの苛立ちをそのままにぶつける。だがきっと彼らは殴り合いはしない。それは愛する家族が遺した分身であり、兄/父であったジョーを思い起こさせるものであり、ジョーがこの世界にいたことを証明してくれる存在だからだ。この二人とのやりとりは擬似的な父子の関係にはならない。リーにとっての子供とは失った三人の子ら以外にはなく、パトリックの父とはジョーに他ならないからだ。お互いはジョーの代わりにはならない。この二人の関係はどちらかというと歳の離れた兄弟のようである。終盤の不器用で奇妙なキャッチボールのシーンは秀逸だった。