Yuddhakaanda Chapter 2 (Kannada/2025)をオンラインで。
まあ、インドの映画は全部ビジランテと分かってはいるけど、ただもう大衆の留飲を下げるためだけみたいなのを繰り返し見せられるとつらい。特に現在の日本で要人暗殺の裁判が行われているのを脇目で見ていると。R3にしろ本作にしろ何にしろ、造反有理の原則で、実力行使で悪辣な権力者を弑してしまえば理屈は後からついてくる的な作劇が多すぎる。本作の場合、殺害犯が最初から計画して復讐を遂げたのだとしても、それはそれで受け入れられてしまうだろう。もちろん、悪辣な権力者とか機能しない司法制度といった現状のひどさがあるので、そうでもしないと正常化しないという一方の理屈はある。それは絶対に日本の現状と同一視してはいけない部分。そして正義の弁護士が神懸かった状態になるのを神話ともろにオーバーラップさせて肯定的に描くというのは昨今のトレンド。母親役にカーリー女神をやらせなかったのはバガヴァット・ギーターに水を差すからか。熱しやすい大衆の愚かさを描いた「Indian 2」や「Vettaiyan」の興収がイマイチだったのがよくわかる。
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アメリカの司法ものなどにある、「法廷はあくまでも法というルールにのっとったゲームの場、うまくゲームをしたものが勝つが、良心に照らしての正義は時には別のところにあり、最終的には神が審判を下す」という発想は逆によくわかる。本作での敵対側の弁護士の考え方がこれに近いものを感じた。もちろんインドの場合、これが野放図に適用されると弱肉強食になってしまうからこそ、一発逆転プロットが好まれるわけだが。だからと言って、弱い側につく法曹家をダイレクトにクリシュナ審にしてしまうのはどうか。