アテネフランセで『仕立て屋akaサイゴン・クチュール』(Viet Nam - 2017)をレクチャー付き上映で。
サイゴンで代々続くアオザイ仕立ての大店の一人娘が、伝統服を嫌い、当主である母と対立しているうちになぜか2017年にタイムスリップするというファンタジー。タイムスリップものなのにベトナムの現代史を一切感じさせないという点が娯楽映画の娯楽映画たるところ。プロットの一々がイージーで、思わせぶりに登場しながら消えてしまうキャラなど、文句を言い出せばキリがないが、ベトナム産のガールポップ映画を見るという稀有な体験の前に不問に付したくなる。陥落前のサイゴン、タリバン以前のカーブル、ホメイニ以前のテヘラン…。先日の2本を見ても思ったのだけど、どんなテーマを扱おうと、映像のインスタ映え的な美しさが半端ではない。これはフランスの置き土産なのか、もともとの民族の感性なのかはよく分からない。尖がった人々の喋る言葉に1969年にはフランス語が、2017年には英語が混じる。レクチャーによれば越映画には南北問題や暗黒期、空白期など様々あり、それ自体が波乱万丈で個別作品よりも興味をそそられるものがあった。