武士の一分

たそがれ清兵衛は割と好きで何度も観ているんだけど、その後の山田洋次の時代劇は観ていなかった。

今回、武士の一分を観た。冒頭の20分ぐらいはキムタク臭がぷんぷんしていたんだけど、段々とキムタク臭がなくなっていくんだよね。失明後の三村新之丞はもはやキムタクではなく、ちゃんとした俳優だった。

私の父親は、なぜか知らんが山田洋次作品が好きらしく、子供の頃はよく観せられたものだ。「寅さん」「釣りバカ」「学校」なんちゃらロードショウでやってるのをよく観てた記憶がある。私が山田洋次のぬるい時代劇を好きになってしまう理由は、子供の頃に植え付けられた無意識の記憶があるからなのかもしれない。

「ぬるい」と言うのはちょっと誤解を与える表現か。山田洋次の時代劇三部作は、作品の中盤あたり、主人公はけっこう残酷な現実にぶち当たる。確か学校シリーズもそうだった気がする。でも最後には世俗的に受け入れ易い「救い」がきちんと用意されている。これが予定調和的に見える人にとっては、「ぬるい」と感じられるのだろう。

最近の私は世俗的に受け入れ易い「救い」のある映画をほぼ観ないので、逆に新鮮なんだよね。

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あと観てて凄いなぁと思うのは、あのリアルな生活感だ。江戸時代の下級武士の日常が凄くリアルっぽい(本当にこんな感じの生活だったのか?は知らんが)。現代人の日常を江戸時代にトレースした「ウソ」なのか。その辺りは全然わからんが、日常風景を映してるだけでもずーっと観れてしまう。

だからなのか、私を含めた一般庶民の観客たちは知らぬ間に主人公に対して「感情移入」してしまう。映画の中の主人公の生活する時間が、観客とシンクロする。こういった映画も「表現」と呼んでも良いんじゃないか、と個人的には思う。確かに、この映画は観客の深層心理に「キズ」を残すことはしない。でも日本人ならおそらくわかるであろう「何か」を残していくんだよね。俗なエンターテインメントにも関わらず・・・だ。

山田洋次といえば左翼だ。が、この時代劇三部作は思想性は全くなく、どちらかといえば保守との親和性が高いのではないだろうか。「下級武士=弱者という記号」は左翼。でも、この映画の記号になっていない部分、すなわち江戸時代の庶民の生活描写には、日本特有の魅力が存分に込められている気がする。もはや左翼革命など暗に否定されているではないか。

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