ドローン・オブ・ウォー

あまり期待せず観たから?
結構面白かった。

ネバダ州のコンテナの中から無人機により爆撃する様子が描かれている。まさにTVゲーム。映像だけ。着弾時の震動も爆音も死体の匂いもない。地上を歩いている一般人をロックオンしてスイッチ押すだけ。軍事スキルは要らない。なぜ軍人にやらせているのか?が謎。

他方、ネバダ州といえばベガス。広大な砂漠。コンテナの外は「ザ・アメリカ」。このギャップが上手く描けていた。

主人公はとても倫理的な人間。病んでゆく。病んでゆくだけのお話です。

もし私が同じ立場であれば、あの主人公のように病むのだろうか?

ゲーセンのコンテナみたいな無人機による爆撃ゲーム。気に病むことなくポチポチとゲームのスイッチを押す。多分、そういう人間の方が圧倒的な多数派だろう。なぜなら「殺した」という感覚が何もないから。

人が倫理を取り戻すために、リアルで人を殺したり殺されたり、したほうが良いのかもしれない・・・と言うと狂人扱いされる。だが、この映画を観て、あなたはどう思うだろう?少し考えてみて欲しい。「殺し」の無い世界。ある世界。どっちが良い世界なのだろう?

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主人公はカトリック教徒だ。作中、キリストが張り付けになった十字架が何度も描写される。

どういう意味があるのか?

私なりの答えは多分「善きサマリア人のたとえ」にある(まぁ人によって様々な解釈があることを踏まえて、あえて書く。もちろん違った解釈もあると思います)。

スイッチを押せと言われて、素直にポチっと押して人を殺せる人間。スイッチを押せと言われて、それを受け入れられずに精神を病んでゆく人間。

あなたはどちらを隣人にしたいですか?

現代のアメリカは「スイッチを押せと言われて、素直にポチっと押して人を殺せる人間」が次々に再生産される世界になりつつある。

この映画の中で十字架が繰り返し描写される意味は、こうしたアメリカ社会に対する批判が込められているように思える。

アメリカはキリスト教原理主義国家といっても過言ではない。映画による政権批判も、キリスト教の教え、を軸に行われる。

「倫理を教える」ということはとても難しい。「善きサマリア人のたとえ」も、単に読んだだけでは、それが指し示している意味は真に理解できない。こうして映画を通じた体験が、真の理解をするための助けとなる。

うーん。どうもなぁ。

他の人の感想を観ると
「スイッチをポチッと押すだけで人が殺せる主人公が精神を病む」だけの反戦映画みたいに思えてしまうんだけど・・・それだけじゃないと思うんだが。

この映画、確かに「主人公が落ちていく姿」を描くために結構時間を使っているんだ。

でもさ。それと同じぐらい時間を使って、明らかに意図的に、描かれているのは「スイッチを押すだけで人を殺す、ということに何も感じない人たち(トミーとスアレス以外の全ての人たち)」なんだよね。

「主人公が落ちていく姿」がかなり残酷に救いがなく描かれているので、そっちの印象が残りやすいのは、まぁ当然のことなんだけどね。

この映画の言いたいことは「スイッチひとつで人殺せても、実行者には精神的ダメージが残る。だから戦争あかん。」じゃなくてさ。「スイッチひとつで人殺せちゃうと、実は実行者には精神的ダメージが全くない。だからドローン攻撃って倫理的にどうなんよ?」ってことなんじゃないのかなぁ。

もっというと、この映画、正直いって反戦映画にみえないんだよね。

まぁ感想は人それぞれでいいけどさ。

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