彷徨える河(5)
根底に仮想現実だけの状態って非常に危険なんだよね。なぜなら、仮想現実はすぐに消えちまうし、それ自体には意味がないからだ。
国家も会社も金も全て仮想現実なんだけど、現実であるかのように錯覚してはいかんのだ。
また、根底に仮想現実だけの状態の人はニヒリズムに陥り、そのうち生きる気力を失ってしまう。生きる意味を考えちゃう。生きる意味自体が仮想現実だ。
では現実と仮想現実の定義は何?っていう問が重要。でも、結論は出てないんだよなぁ(すごく難しい)。
自分の中でなんとなくこれかなぁ・・・というのは、仮想現実は記号で表現されたもの。現実はそれ以外の全て、という定義。
例えば、「暑い」という言葉は仮想現実だけど、「頭がクラクラして、汗が出て、息苦しい」という感覚は現実だ。感覚は現実だけど、それを言葉にしたらそれは仮想現実だ。
でも、この定義だと説明し切れないこともある気がするんだよな。
コロナ自粛で暇だから考える時間だけはある。
彷徨える河(6)
西洋の思想や理念がよくもてはやされるけど、結局のところ、これらも後付けの仮想現実に過ぎない。
昨今「理念(仮想現実)→実行(現実)」という考え方が正しいように言われますが、世の中の摂理としては逆。「実行(仮想現実)→理念(現実)」なんだよ。思想や理念はいつだって後付けに過ぎない。
しかし、戦争では「理念(仮想現実)→実行(現実)」という考え方で動いた方が強い。経済競争でも同じことが言える。
つまり、人間にとって「理念(仮想現実)→実行(現実)」というのは建前に過ぎない。本当は「実行(仮想現実)→理念(現実)」でありたいというのが本音。
「理念(仮想現実)→実行(現実)」って、生き難いでしょ?「実行(仮想現実)→理念(現実)」の方が楽に生きれる。
ヨーロッパ人って、そのことがよく分かってると思うんだよな。西洋思想発祥の地であるからこそ、西洋思想なんて所詮建前であることが分かっている。でも戦争で使える考え方だから使ってるだけ、みたいな。