お風呂に入りながら思い返していたのですが、ナチュラルウーマンでは主人公の過去の話がぜんぜんないんですよね。女性として生きたかったころ、生き始めたころの苦しみみたいな話はまるでなくて、アイデンティティの確立みたいなものはそもそもテーマになりさえしない。主人公は始めから終わりまで、すでに現在形で女性「である」ものとして描かれ、主軸は女性である主人公とそれにもかかわらず彼女を女性から締め出そうとする圧力との社会的なドラマと、それゆえにほとんど打ち明ける場を持たない彼女の恋人への想いとに置かれている感じ。これは画期的だと思います。