てゆーか、ジャーナリズムは命がけだ。昔のことであるとはいえ、証言者も命がけ。でもだからこそ意味がある。
ジャーナリストから提供される情報の価値は、そのジャーナリストがかけているものの重さに比例するのかもしれない。
なぜ彼らが命をかける必要があるのか?彼らにそこまでの責任を負わせる必要はあるのか?もし自分がジャーナリストだった場合、命をかけられるのか?
ジャーナリストとは民の知る権利を代弁している存在だからだ。だからこそ「自分の命が惜しい」からといって保身に走り、出すべき情報を出さないことは許されない。
今述べたことは極論であると思うが、本来のジャーナリズムが負うべき責任であることに変わりはない。
なんて、外野の俺はいくらでも好きなことが言える。実際、命をかけるという行為は並大抵のことではないよな。