「愛がなんだ」は信仰についての映画だ
この映画のテーマは信仰だ。最近、キリスト教の話を聞く機会がありまして、そこでハッと思い出したんですよ。ズバリ。この映画はご利益信仰批判。
キリスト教の話を例にするとわかりやすいから、それで説明します。が、別にキリスト教だけね当てはまることではありません。
自分の利益の祈りをご利益信仰という。何故神に祈るのですか?決まってんじゃん。金持ちになるためよ!大学に受かるためよ!こういうのがご利益信仰。
キリスト教において本来ならば、そのようなご利益信仰は批判される。何故なら、神に祈れば救われるという考え方に従った信仰は間違っているから。人間には神の意思など絶対に分からない。
たとえ不合理であっても神を信じろ。それが信仰なのだ。信仰者にとって、一見不合理に見える結果だったとしても神の視座から見たらそれは合理的なのである(主知主義)、或いは、神が不合理をあえて望んでおられる(主意主義)。
もうお分かりですよね?マモちゃんは神なんですよ。そしてテルコは信仰者。
「愛がなんだ」は信仰についての映画だ
本来であれば、キリスト教は見返りを求める信仰を否定する。見返りを求めない、自己犠牲的な信仰こそを尊いものと見なす。
これがとても普遍的な価値観であるところが不思議なんだよね。
西洋思想は、ほとんどの場合キリスト教が根底にあるのであまり参考にならないけれども・・・
日本だと武士道とか禅がそれに似てる。
世界各地の英雄譚には、こうした、御利益信仰の否定が含まれているのではないか?とさえ思うんだよね。
「愛がなんだ」は信仰についての映画だ
@tacchan https://tomomachi.stores.jp/items/5d0d4448698fa51f6fe0830f 町山さんも宗教について言及している。しかし俺的に、この映画の中では、テルコはまだお試しという段階までは達してないんだよな。お試しというのはもっとドン底まで落ちてからやってくるものだと思うなぁ。。。
「愛がなんだ」は信仰についての映画だ
@tacchan この映画、マモちゃんの心理が全く分からないんだよね。何を考えているのか全然分からない。これって神の意思が人間には分からないということのメタファーなんだよ。
キリスト教の文脈においては
テルコは良き信仰者なんだよね。どんな不条理があろうともマモちゃんを信じる。仕事までやめちゃったw。不合理な選択を受け入れる。
ナカハラが悪しき信仰者。彼は見返りを求めている。ご利益がないと分かり、信仰を捨てた者。
もちろん、一般的な社会の中では、ナカハラは賢く、テルコはアホということになる。しかし、どちらが正しき信仰者であるか?という問いの答えはテルコなんだよね。