ローガン
アメコミらしくないアメコミ映画だった。スーパーヒーローが超人的能力を失いながら、しみったれた人生を送る。それまでの「ウルヴァリン」としての姿を拒否もしくは逃げてるようにも見えるローガンの姿と、自分の活躍を描いたコミックを否定するローガンの姿が何とも辛い。ラストの戦いでは薬を打たなきゃ戦えないほどボロボロのおっさんに自分たちは「早くローガンなんとかして!」って祈るしかなくて、だからこそ勢いよく戦うローガンの姿がとても辛い。もうとにかく最初から最後まで辛かった。
これがアメコミ映画であっていいのか、という凄まじい衝撃。今思い出しても泣ける。それでも粗野で不器用で荒々しいローガンという男には、西部劇のにおいを感じさせるロードムービー風のこの泥臭く血生臭い物語はこら以上となく似合ってた。
またまたメッセージ
ヘプタポッドの言語が円の形で始まりや終わりに捉われないという特性、「主人公の娘の記憶」が未来の出来事にも関わらず最初からちょくちょく挟まれること、何度も繰り返し言われる「Hannahはどちらから読んでも一緒」という話。そして映画の始まりのシーンと繋がるラストシーン。今思えば始まりも終わりもない、現在・過去・未来を同時に生きるという時間感覚を示す伏線(?)の数々があちこちにあったんだなぁ…と。あーーーもっかい観たい。
何より、ヘプタポッドたちと違って後天的にその時間感覚を手に入れた主人公が未来の辛い出来事を回避することよりも、その人生を丸ごと受け入れるという「愛」を選んだのも………。
これは未知との遭遇を描いた物語ではなく、人間の人生と愛を描いた物語だったんですね。
まともなことの1つも言えない